退団選手インタビュー
小澤大[WTB/FB]
言葉に表せないくらい濃い時間だった。
チームの日本人選手最年長、小澤大がトヨタで11シーズンの現役生活を終えた。2018年から4年間は東京オリンピック出場を目指し、日本協会に出向。メンバー入りはかなわなかったが、その後は15人制に復帰。発足したリーグワンで2シーズンを戦った。1年目はセブンズで培ったキャッチングやサポートプレーを買われ、8試合に出場。だが今季は、出場機会に恵まれなかった。
「春にケガをしてしまって、出遅れた。治ったときには、ほぼメンバーが決まっていて」
試合に復帰できたのは、プレシーズンマッチの最終戦。今季はヘッドコーチが代わっており、早い段階から存在をアピールしておきたかった。
春に悩まされたのは足底筋膜炎。肉離れもあった。「アライメントを整えられなかった」と言うが、長年7人制と15人制で走り続けてきたことと無縁ではないだろう。
「濃い、充実した時間でした。特に日本協会に出向してからは、セブンズの海外遠征から帰ってきて3日後にまた合宿とか、とにかくハードでしたね」
岐阜工でラグビーを始め、流経大に進学。4年時にはチーム初のリーグ戦優勝を飾る。初めてセブンズに呼ばれたのは2年生のとき。
「そのときは毎回招集されるのではなくて、アジアシリーズで人が足りないときに呼ばれていました。継続して呼ばれるようになったのは、トヨタに入ってからです」
2016年のリオ五輪で初めてセブンズが採用され、強化のスピードが加速した時期と重なった。
「しんどさもあったけど、面白かった」
リオ五輪はメンバーから漏れ、心機一転、2020年の東京五輪を目指していた時、思わぬ事態が待ち受けていた。
2018年にトヨタのヘッドコーチに就任したジェイク・ホワイト氏は、7人制と15人制は全く別物ととらえていた。それは選手の扱いも同様だった。
小澤は仲間がグラウンドで練習しているときは、ウエイトルームでトレーニング。反対に、皆がウエイトしているときにグラウンドを使う日々。一人ぼっちの練習が続いた。
「正直、すごく辛かった。並大抵の選手では続かなかったと思う」
日本協会から出向の話が来たのは、そんな時期だった。
「話をいただいたときは悩みましたが、東京五輪を目指していたので、決断しました。リオに出られなかった悔しさもあったし、日本開催のオリンピックなんて、この後チャンスはない。東京五輪というのが、頑張れる源だった」
住まいを東京に移し、強化に本腰を入れる日々が始まった。だがそんな折、コロナ禍が襲う。開催も1年延期となった。東京でのトレーニングはJISSや府中スポーツセンターを借りていたが、コロナの影響で閉鎖が多くなった。その間は一人で公園を走ったり、自宅でトレーニングをするしかなかった。どうしても練習量や内容は限られる。目指していたメンバー入りはかなわなかった。
「コロナがなければもっと練習出来た。最終的には身体が練習量についていけなくなって、筋肉系のケガも多くなった。あのままトヨタでやれていたら、身体のメンテナンスも含めて、まだ選ばれるチャンスはあったかもしれない。コロナが憎いかなと。でもそれも、いい経験でした」
すべてを賭けてきた目標を失ったとき、15人制に助けられた。
「すごく落ち込みましたし、もう立ち直れないと思っていたところにトヨタが温かく迎え入れてくれて、もう1回チャンスをくれた。オリンピックに出ることが恩返しだったのですが、それはかなわなかったので、チームに戻って、妥協せずにやっていくことが違う恩返しかなと」
リーグワン1年目で見せたプレーは、積み重ねた思いの結晶だった。
セブンズのキャップは46。ワールドシリーズ(WSS)に加え、アジアシリーズにも参加。主将も務めた。年間300日は合宿、遠征の日々。身体的にも精神的にも、タフでなくてはつとまらない。中でもアジアシリーズはハプニングの連続だった。
「迎えのバスが来ないとかは普通(笑)。練習場に行ったら、他のチームが練習してたり、試合でアップしたら豪雨で突然2時間延期になったり…。アジアのセブンズでしか味わえない、すごくいい経験でしたし、今後の会社生活にも生きてくるのかなと」
今のチームにも若きセブンズ代表、谷中樹平がいる。合宿や遠征で忙しく、じっくり話す時間はないが、そこに若き日の自分を重ねる。
「自分の時より全然戦えている。オリンピックに出て、7人制の認知度を上げてほしい。僕にはできなかったので、彼に託したい」
困難なことも多かったが、シーズンを終えて日常に戻ると、充実感も沸いてきた。
「言葉に表せないくらい濃い時間でした。トヨタに入って1年目、最初に出た試合が開幕のヤマハ戦(現・静岡ブルーレヴズ=2012年9月1日)、最後の試合も同じ相手(2023年4月22日=ミライマッチ)。不思議な感じがします。いい締めくくりが出来たのかな」
現在の職場は、生産部品物流部。しばらくラグビーとは離れた生活になりそうだ。
「いずれはラグビーに携わりたいと思っています。ここまでやらせてもらったのは職場の支えあってこそなので、まずは恩返しです。まだ仕事を覚える段階ですけど、早く覚えて少しでも力になれば」
セブンズの世界の第一線で活躍した経験は、いずれまた日本のセブンズに生かされていく。
(写真説明)
春のケガからの復帰戦は昨年11月26日、プレシーズンマッチの横浜E戦だった
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