退団選手インタビュー
伊尾木洋斗[PR]
スクラムは組めば組むほど強くなる。
「スクラム職人」伊尾木洋斗が、トヨタで8年間の任務を全うした。
試合終盤、188㌢122㌔の巨躯が交代出場でピッチへ。その後のスクラムは、味方の背中が錨を下ろしたようにピタッと動かなくなる。役割は明確だった。
トップリーグ1年目から試合に出場していたが、リーグワンになってからケガに悩まされた。今季もプレシーズンは好調もシーズン半ばに負傷、3月末に首のヘルニアの手術に踏み切った。
「シーズン中は元気だったんですけど、ケガをしたら一気に悪くなった。2分でもいいから、スクラムで出たかったんですけどね」
リーグワン出場はかなわなかったが、最終戦の前日に行われた静岡ブルーレヴズとのミライマッチでは、タッチライン際にジャージーを着て待機する伊尾木の姿があった。
終盤にFL古川聖人がトライ。コンバージョンを決めれば試合終了の場面で、ピッチに登場した。海外では引退するFWに最後のコンバージョンを託すならわしがある。それに倣ったのだ。
グラウンドに入ると、いきなり両手を組み合わせ腰を落とし、かの有名なルーティンポーズ。周囲を沸かせてから足をふりぬいた。
「ユニフォームだけ用意してくれると聞いてて呑気に座ってたら、最後にサプライズでした。ああいうシーンは何度も観てましたけど、まさか自分が蹴るとは…。最後、トヨタがトライを取らなかったら、蹴ることはできなかった。運が良かった」
仲間の拍手に包まれ、小学5年生から続けてきた現役生活を締めくくった。
京都出身。洛北RSでラグビーを始め、洛北高に入学する。関西協会元会長、世界のWTB坂田好弘氏の母校でもある。その繋がりが、ラグビー人生を切り開いていった。
「高校のとき、(大学から)いろいろ声をかけてもらってたんですが、評定平均が届かなかった。そんなとき、大体大の坂田先生に声をかけてもらって」
スクラムでは前に出られるものの、古典や公民は劣勢だった。
「テストを落とすと授業が終わった後に、マンツーマンで授業があるんです。僕はキャプテンをしてたのに、半年くらい練習に行けなかった」
坂田氏が監督を務める大体大に進学する。そこで待っていたのは、ひたすらスクラムを組む日々だった。
「近鉄(近鉄L)やドコモ(RH大阪)に出稽古に行って、ボロカス押されて、悔しくて泣きながらやってました。今では想像できませんけど」
それでも大学1年から関西リーグに出場、卒業後は先輩PRも多く活躍したトヨタ自動車に入社する。
1年目から交代出場で起用されたが、トップレベルのラグビーは、どんなポジションでも走力を求められる時代を迎えていた。揺れていたとき、支えとなる言葉に巡り合う。
「周りはみんな走れるし、自分だけ練習についていけない。結構やばいと思ってたんですけど、シーズンが終わって麻田一平さん(SH)と飲みにいったら、“武器は1個あれば十分”と熱く説いてて。それでスクラムで圧倒しようと」
以降、スクラムの押しに磨きをかけ続けた。
「スパイクのポイントもめっちゃ長い(21㍉)。“それで走れるん?”と聞かれますけど、もともとスクラム専用ですから(笑)」
2017年から2年間、ジェイク・ホワイト監督時代は、終盤の入れ替えが定着した。
「スクラムは、組めば組むほど強くなる。僕も大学のときからいろんな人と組ませてもらったので、それが今に生きてる。年老いるほど強くなっていくと思います」
この2シーズンは、自分の中に変化も芽生えていた。
「それまではどちらかというと、コーチに“これやっとけ”と言われてやってたんですが、最後の2年間は言われずとも自分でやってました。一番真面目に向き合った気がします。
ケガであっけなく終わったんですが、十分やり切った」
活躍はグラウンドにとどまらない。
TDS(トヨタ・ドリンキング・セッション)の一員として、イベントには欠かせない存在。5月末に行われたファン感謝祭でも、軽妙な司会ぶりを見せた。
現在の職場は貞宝工場モノづくりエンジニアリング総括部総括G。
「なんでも屋です。まず時間通りに会社に行って、8時間座る修行をしてます(笑)」
人を楽しませることにも長けている。その才能はこれから多方面で発揮されていくはずだ。
「今でも(スクラムを)組んでいたら、新しい発見があるかもわからないですね。“これは、こうか”と。何歳になっても」
もうポイントの長いスパイクを履くことはないけれど、心はずっとスクラムの森にある。
(写真説明)
引退試合に訪れたOBの吉田康平さんと。「1年前、康平さんの引退試合もここで見てました。感無量です」
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