職場紹介 第3回
大隈祥弘[ヘッドアスレティックトレーナー]
選手を「家族」と思えるか。
2016年からトヨタヴェルブリッツのアスレティックトレーナーを務める大隈祥弘さん(2020年度よりヘッドアスレティックトレーナー)。選手の身体を預かるスペシャリストは元バスケット選手であり、元ラグビー選手。自らもケガで苦しんだ。その様々な体験をベースに、日々チームのコンディションを整えることに心をくだく。
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大隈さんは福岡県出身。中学時代はバスケットで頭角を現し、スポーツ推薦で高校に入学する。進学先は通称「ガオカ」こと筑紫丘高校。福岡県のラグビーの伝統校だ。
「バスケットの推薦でしたが、ずっとラグビーをやりたかったんです。体育の授業でやって面白かったこともありますし、ラグビーをやっている人は人間的に面白い。高校生のときからそれを肌で感じていて、ラグビー部の仲間とばかりつるんでた」
高3の春、バスケットの大会が終わると、クラス担任だったラグビー部の藤山卓也監督に頼み込みラグビー部に入部。秋の花園予選が終わるまで、楕円球を追いかけた。
「3年生ながら、1年生と一緒に残って練習してました。ますます好きになって、試合に出させてもらえるようになったら引退」
もっとラグビーを続けたいと、バスケットで実技試験を受け、福大に合格。こんどは藤山監督と一緒に、ラグビー部の村上純監督に会いに行き、入部を志願した。
「村上先生は来るものは拒まずで、入部させてくれた。感謝してます。まさか今に至るまで長いつきあいになるとは(笑)」
福大は九州学生リーグ1部の強豪。2級上に上田泰平さん(元HONDA)、1級上に平島久照さん(元神戸)、同期にはセブンズ代表で活躍した築城昌拓さん(元コカ・コーラ)。2級下には五輪で活躍した桑水流裕策(同)さん…。のちに代表入りするそうそうたる顔ぶれがそろい、大学選手権で打倒関東を目指す日々だった。
大隈さんのポジションはCTB。レギュラー入りを目指し4年間、練習に打ち込んだ。その一方、バスケットをやっていた頃からの古傷にも悩まされていた。
「足や肘など4回ほど手術しました。ラグビーできなかった期間の方が長いかな」
治療に通っていた病院がスポーツのリハビリに力を入れていた。患者として足を運ぶうち、どうやって治すのか、どうすれば防げるのか、様々な知識が蓄えられていった。大学でも、岩本英明チームドクターのゼミでスポーツ医学を学んだ。
将来の夢はトップリーガーだったが、狭き門。ならば、とラグビーに携われる仕事を模索。
「身体のことをしっかり勉強して選手を支える仕事をしようと」大学院に進学した。コーチ兼任となったが、大学院1年目に大きなケガを負い、現役続行を断念。そこでお世話になった向野義人氏との出会いが、進むべき道を指し示した。
「向野先生はスポーツ科学部の教員で内科医、鍼治療もやっておられた。先生に治療してもらうと、体がすごく軽くなるし動きやすい。いろんな治療法がありますけど、“こんなに即効性があるのか”と。タイミング的にもラグビーを続けられなかったので、思いきって夜間の鍼灸学校に行こうと」
大学院2年目から、専門学校に通い始める。昼間は修士をとるための論文執筆に実験、夕方から9時過ぎまでは専門学校の授業。
「1日中動き回っていましたね」
修士取得後、いったん休学、働いて学費を貯めて復学した。
「経歴を聞かれると、説明するのに時間がかかります(笑)」
目の回る忙しさだったはずだが、「休学して、働きながらコーチングしながらの日々。まさに、いいとこどりでした」と笑う。天職に向かって一直線の日々だった。
鍼灸の資格を取得後、故郷福岡を離れ、2013年に帝京平成大学鍼灸学科教員に。さらにスポーツ医学を極めたいと、同時に筑波大学大学院にも入学。再び「二足の草鞋」の日々が始まった。
仕事にも慣れた2年目、今度は筑波大学の古川拓生監督(当時)をアポなしで訪ね、ラグビー部のトレーナーとして、本格的な活動を始めた。
「古川先生は、鹿屋体育大学の監督時代から尊敬していました。7人制日本代表のトレーナーもされた経験があり、強いチーム作り、その中でのトレーナーの役割も教えてくださいました。大学生は身体は粗削りだけど、のびしろがある。いろんなことに気づかされた環境でした」
筑波大での2シーズンの後、トヨタヴェルブリッツに加入。
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初めてトップリーグのチームに関わることになった大隈さんだが、「想像の何千倍も忙しかった。自分の力のなさ、フルタイムでやるきつさを感じました」
最初に現場で学んだのは、選手と真正面から向き合うことだった。
「きついけど、逃げたら選手のためにならない。僕たちトレーナーの仕事は、自分が努力すれば選手のプラスになるし、怠けたら選手のマイナスになる。それが、どのセクションよりも選手に直結していると感じました」
シーズン中は、練習開始の2時間半前にはクラブハウスに入る。1時間前になると選手たちが到着しはじめる。選手のケアをすませ職場を離れるのは練習終了から3~4時間後。試合でケガ人が出たら、翌日はその対応だ。
アスレティックトレーナーは治療だけでなく、スタッフと、選手から相談を受ける立場でもある。「1日も早くプレーしたい」「この試合に復帰させたい」…。様々な要望を聞き取って調整することも求められる。
「医学的な情報、選手の希望、チームの要望をすりあわせる。うちは基本的には選手主体。トレーナー、ドクターから選手に情報を伝えて、最後に選手が答えを出せる環境になってます。自分がどうなりたいかを、先を見せてあげて選択できるようにしてあげる。そこに労力を使うことが多いですね」
ケガをした選手の復帰は大きなやりがいだが、複雑な思いも残る。
「復帰は嬉しいです。でも僕は、“そうなる前になぜ防げなかったのかな”と。そのケガがなければ、もっといい時間を過ごせたのにと。そっちを考えますね」
ケガを未然に防ぐことに心血を注ぐ。この2シーズンは、コロナウイルスの対応にも気を遣った。
「うちは2019シーズンからガイドラインを作って徹底していたので、意識は高い。今もそのときのルールで運用しています」
どのチームも同様に、選手以上に感染対策に気を遣うのがメディカルスタッフだ。
「選手といちばん触れ合う職種なので、家族とも距離を置きました。子供が“回転寿司に行きたい”と言ってもダメだと」
キャリアを重ね、トレーナー志望者からアドバイスを求められることも増えた。
「トレーナーになるのは簡単なようで難しい。よく言うのは、選手を“家族”と思えるか。実際、家族より一緒にいる時間は長い。家族と思ってこちらが本気で接しないと、向こうも本気でやろうと思わない。家族ではないけれど、家族と思える対応がすごく必要な要素だと感じます」
その日々を支えてくれるのが、「本物」の家族だ。最も多忙な時期は、子供が寝ている時間に家を出て、夜戻って寝顔を見る日々。シーズンの合間は、家族とゆっくり過ごせるひとときだ。
「最近、朝は小学生の娘と一緒に家を出ますし、一緒にご飯も食べます。今しかできないことをやってます」
9月の声を聞くと、チームとしての練習がスタートする。つかの間、ゆっくり時間を過ごした後、再びクラブハウスに集う「家族」と向き合う日々が始まる。
おおくま・よしひろ/1983年6月9日生まれ。筑紫丘→福大→福大大学院→筑波大大学院→トヨタヴェルブリッツ(2016~)
文/ 森本優子
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