退団インタビュー 有田隆平[HO]
いい人間が、いいラグビーをする。
足掛け14シーズンにわたり日本ラグビーを引っ張ってきたHOが、トヨタヴェルブリッツで現役を終えた。有田隆平、36歳。東福岡高、早大を経てコカ・コーラ ウエストレッドスパークス(2020年度で休部)で7シーズン、神戸製鋼コベルコスティーラーズ(現神戸S)で5シーズン。そして豊田の地で2シーズン。小1でつくしヤングラガーズで初めて楕円球を手にしてから、30年近くに及んだ現役生活だった。
「思った以上に穏やかというか、落ち着いた気持ちですね。もっとやりたいとか、うわあっという気持ちになるかと思ったら、すっきりした気持ちで」
今季は長らくメンバー外が続いた。初めてリザーブに入ったのは第17節の三重H戦。翌週5月10日、豊田スタジアムで行われた最終戦のS東京ベイ戦で後半20分から出場したのがラストゲームとなった。移籍1年目の昨季も10試合出場したが、全てリザーブ。先発の彦坂圭克、加藤竜聖を後方から支えた。
「元気なうちは、いかに運動量で目立つかと思ってましたけど、出場時間が短くなったら、その分、仕事の質を上げようと。1本のスクラム、1本のラインアウト、1本のブレイクダウン…。チームのかゆいところに手が届く、いてほしいな、という勝負所で仕事をする選手でいようと」
穏やかな気持ちで締めくくれたのは、これまで悔いなく過ごしてきたから。「最後の2試合メンバーに入れたもらったこともありますし、毎年、いつ終わってもいい覚悟でやっていた。やり切りました」
選手として幸せなフィニッシュだった。
有田は福岡市出身、4兄弟の末っ子。兄弟は全員ラグビーをプレー、下の3人は関東大学ラグビーで活躍した。次兄・啓介さんは中大。三男・将太さんは法大。啓介さんは卒業後はトヨタ自動車ヴェルブリッツで活躍、引退後、採用担当も務めている。兄二人も、猛タックラーとして名を馳せた。「どちらかというと全員気合タイプで、センスでやってる感じではなかった」と笑うが、末っ子もよく走り、ボールに絡み、「いてほしいところにいる選手」。順調に年代別代表の道を歩んだ。東福岡高、早大とキャプテンを務め、全国大会で準優勝までチームを引っ張った。
卒業後、九州のラグビーを盛り上げようと地元に戻り、コカ・コーラウエストレッドスパークスに加入。2018年度に神戸に移籍する。加入1年目でチームはトップリーグ優勝の快挙を果たした。その後、リーグワンに替わってもプレーを続けたが、出場試合は百試合には届かなかった。
「14年の半分はケガで離脱してました。80試合くらいしか出ていない。普通だったら、余裕で百は超えてる」
逆に度重なるケガでプレースタイルを見直したことが、長い現役生活に繋がった。
「20代の最初はガツガツいくスタイルでしたけど、ケガもあって僕自身変わらなきゃいけなかった。それが上手く変化していけたのが続けられた要因かな」
コーラ時代には日本代表にも選出された。代表キャップは9。さかのぼれば、2009年に日本で開催されたU20ワールドチャンピオンシップでは、U20日本代表のキャプテンを務めてもいる。今季チームメートだったLOリッチー・グレイはU20スコットランド代表。2人は予選プールで対戦している。
「まさか同じチームになるとは思いませんでした」と言うが、これも息長くプレーしてきたゆえに生まれた縁だ。
現在は社員、7月からは出向し、母校の早大でコーチを務める。
「これからは自分が育ててもらったように、若い学生たちを育てる立場になる。いい人間が、いいラグビーをする。早稲田は、よりそういうことが生きてくるチームだと僕は思うので、そういう指導ができたらいいなと」
「末っ子なんで、兄貴風を吹かすタイプじゃないんですけど」と言うものの、高校大学とキャプテン、ヴェルブリッツでも面倒見の良さでも知られた。
もともと第3列。早大入学後すぐに「上を目指すなら」と自ら決断してHOに転向した。
「周りからは“バックローのほうがいいよ”と止められましたけど、将来生き残るならサイズ的にもHOだなと」
その選択も吉と出た。
「HOはスクラムもラインアウトも、セットプレーの始まり。毎回投げる瞬間、組む瞬間はめちゃくちゃ緊張しますけどそこが上手くいけば、もっといいプレーヤーにボールが渡って、スコアできる機会も作れる。やりがいのあるポジションでしたね」
これからはコーチとして自分のような、そして自分を超える選手を育てていく。(文・森本優子)
写真説明
現役最後の試合となった5月10日のS東京ベイ戦
0コメント