ラストインタビュー
彦坂匡克[WTB]
心残りはない。
「名残り惜しくはあるけれど、心残りはない」
そう言いきってラグビー人生を締めくくれる選手は、幸せだ。
彦坂ツインズの兄、WTBとしてトヨタヴェルブリッツで活躍した彦坂匡克がスパイクを脱いだ。冒頭の言葉は、引退を報告する場で口にしたものだ。
トヨタでは11年間プレー、この2シーズンはケガとの戦いだった。昨季はプレシーズンマッチで手を骨折。手術と治癒に時間がかかり、試合は全休。今季も開幕直前の静岡BRとの試合で肋軟骨を骨折、3月のミライマッチで復帰したものの、昨今は受傷を繰り返すようになっていた。
「定年までやろうと思ってました(笑)。でも10月にケガをしたときに、今まで感じたことがないくらい足がしびれて。そこから、ハムストリングの力が入らなくなって肉離れしやすくなった。(引退は)今年か来年かなと思ってました」
33歳。トップリーグ+リーグワンの出場試合数はちょうど50。リーグワン初年度の第15節・4月30日のBR東京戦がラストゲームとなった。HOとして先発を続ける弟・圭克に比べて試合数が少ないのは、セブンズ日本代表として世界を駆け巡っていたからだ。
「チームに籍を置きつつ、セブンズにチャレンジできた、恵まれた環境でした。トヨタには感謝しかない」
トヨタ入社1年目にユニバーシアード、2年目のアジア大会で金メダル、そして2度の五輪に出場。出場大会数でカウントするセブンズの代表キャップは23。セブンズが2009年にオリンピック種目に選ばれ、世界的に強化が加速、選手としての成長のタイミングと重なった。スピードに加え、ラグビーで要求されるコンタクト、ディフェンス能力も兼ね備えていたことが、セブンズでの存在を揺るぎないものにした。
初めてセブンズが実施された2016年のリオ大会で日本代表は4位に食い込んだ。リーコ・イオアネ、ソニービル・ウィリアムスら当時のトップ選手を擁するNZ代表に14-12で勝利した一戦は、世界を驚かせた。
「それまでNZに一度も勝ったことはなかったのですが、ドはまりしましたね。ひたすらインプレーを削って、セットプレーだけでとる」
日本ラグビーにおけるセブンズの可能性を示した歴史的な勝利だった。
「あれだけうまくいくと忘れられないですね。監督の瀬川さん(智広=現摂南大監督)は1週間きっちり練習して、最後にチームディナーを入れてくれた。みんなその場で呑むのが楽しみで頑張ってました。直前のワールドシリーズでいい成績が残せて、いい強化もできていた」
次の東京大会にも出場。2度の五輪を「特別な経験だった」と振り返る。試合だけではない。東京大会では、リオで参加できなかった開会式にも出席した。
「最高でした。“これ絶対テレビ映るな”と、バッハ会長や小池百合子知事の後ろを歩いてました。あの後、携帯が鳴りやまなかったですね(笑)。時代が良かった。桑水流(裕策)、坂井(克行)さん、豊島(翔平)さん、宇薄(岳央)さん、築城(昌拓)さんたちがいて、僕は途中合流のような感じでしたが、いい時代にやらせてもらえた」
今ほどセブンズの環境が恵まれていない時代から共にプレーした仲間たちと、今日の礎を築き上げた。
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彦坂が弟・圭克と豊橋ラグビースクールでラグビーを始めたのは小学校1年生のとき。
「同じマンションに、元ヤマハ発動機ジュビロの山本純生GMがおられて“どう、ラグビー?”と言われて、放り込まれました。気づけば27年(笑)」
人生を変えたのは、春日丘高への進学だ。最初の選択肢は地元の公立高。大学進学優先でラグビーを続けるかどうかは流動的だった。
「たまたまヨシがスクール選抜の試合で、春日丘の宮地先生(監督)からパンフレットをもらってたんです。塾の先生がそれを見て“ここはラグビー部がある”と、すぐに電話して“こういう生徒がいる”と伝えてくれて、入学することになった。春日丘を選んだことが、人生でいちばん大きな選択でしたね」
高3の春の選抜大会でベスト4入り。選抜でのプレーを目にした早明など多くのチームから誘いがあったが、進学の決め手は「寮がないこと」。2人で筑波大を選んだ。
「寮に入るのが嫌だった。春日丘は上下関係がなかったし、せっかく大学に行くなら、一人暮らしがしたかった」
大学生活は栄養面で満点とはいかなかったが、キャンパスライフもラグビーも存分に楽しんだ。4年時は主将を務め、大学選手権で準優勝の成績を残す。
「今の学生はアスリートですけど、当時は3食連続カレーそばとか、夜にボウリング行って、夜中の3時にマクドナルドとか…。心身の健康がプレーにいい影響を及ぼす例です(笑)」
もっとも大学生活を終えトヨタに合流した際、脂肪過多の体型に当時のフィロ・ティアティアHCが激怒。「いますぐ心を入れ替えるか辞めるか、決めろ」と迫られた。
「それから1か月、フルスロットル。研修の後、毎日、マックスでウエイトをあげて、そのあと走って。研修のとき、階段を登れないくらい。めっちゃ大変でしたけど、結構のびのびやりました」
それで1年目のトップリーグ開幕戦でスタメンをつかんだのだから、才能のほどがうかがえる。
「もうみんなと合宿に行ったり、子供にラグビーする姿を見せられないことはさみしいかな。今年も、もっと練習試合に出られればよかったんですけど、悔いや後悔はない」
引退してすぐに部署異動となり、現在は総務部総務室交通安全推進グループに勤務する。自動車だけでなく、自転車のヘルメット着用など、全般的な交通安全の啓発を担当する部署だ。同じグループには弟・圭克もいる。
「本社の人によく“シュッとした?”と間違われます(笑)」
今も昼休みにはランニング。体重を増やさないよう気を配る。これからは家族中心の生活だ。
「これまでは土日のどちらかが試合で埋まったし、長期連休もなかったので、8月の休みが楽しみです。子供が大きくなると行けなくなるので」
ラグビーでの楽しみは、弟の百キャップだ。今季は98試合まで出場したが、第12節の花園L戦で負傷。来季に持ち越された。
「百キャップの試合は絶対に行くと決めてます」
セブンズで培った経験は将来、現場で必要とされそうだ。
「トヨタがセブンズのチームを持つなら是非やりたいですね。会社で女子チームを持ったらいいんですけど。女子セブンズ、ずっと見てきましたけど、年々上手になってる。これからさらに強くなります」
プレーの才能にとどまらない。オンフィールドでは試合中に的確に周りに指示を出し、後輩から絶対の信頼を得ていた。チームのイベントを担当する「TDS」にも1年目から所属。オフフィールドでも仲間をまとめることに心を砕いた。周りすべてを「陽」のオーラでくるむことのできる存在だった。
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