新加入選手インタビュー
ヴィリアミ・レア[CTB/WTB]
ブリスベン・キッズの夢。
ブリスベン・キッズ。日本代表として今回のワールドカップに出場したジャック・コーネルセン、ベン・ガンター、ディラン・ライリー(埼玉)。彼らはオーストラリアのブリスベンでラグビーキャリアをスタート。その後、来日しトップリーグ(現リーグワン)でプレーする中で才能を開花させた。ワールドラグビーの規定では5年居住などの条件を満たせば、その国の代表になる資格が生まれる。今季、ヴェルブリッツに加入した愛称ヴィリことCTB/WTBヴィリアミ・レアも彼らと同じブリスベン・キッズ。9月で23歳を迎えたばかりの若者は、トヨタで大きく成長しようと意気込んでいる。
もともとはニュージーランドのパーマストンノース生まれ。父のママタキ・レアさんは、国内選手権NPCマナワツに所属するプロ選手だった。ヴィリが5歳のとき、家族でブリスベンに移住。新しく創設されたスーパーラグビーのチーム、ウエスタンフォースのトライアルを受けたが、膝に大ケガを負い、現役を断念。新しい生活を始めた。幼い頃から父のプレーを見て育ったヴィリがラグビーを始めたのは、自然なことだった。
「父が引退したのは僕が5歳のとき。僕がラグビーを始めたのは6歳のときです」
最初はタッチラグビーをやっていたが、タックルがないのに飽き足らず、9歳でラグビーに転向。すぐに頭角を現し、13歳でラグビーの奨学金を得て、地元の強豪イプスウィッチグラマースクールに入学する。
「父のポジションは3列。僕も15歳までフランカー、NO8をやってました。15歳でファーストXVに入ったんですが、バックローとしては背が足りなかったので、HOかCTBにコンバートの話が出た。スクラムは嫌いだったので(笑)、CTBになりました」。2年後にはWTBへ。
「最終的にWTBがいちばん向いていて、充実したシーズンを送れました」
オーストラリア・バーバリアンズに選出、オーストラリアU18にも選ばれた。ほどなく九州電力キューデンヴォルテクスから誘いが来た。九電のHCを務めていたゼイン・ヒルトン氏は、ヴィリの所属していたレッズアカデミーの指導経験もあり、コーチを通じて話が届いた。
「九電から話が来る前、私に子供ができたことが分かりました。どうやって生活を支えようと思っていた矢先のことで、オファーはとてもありがたかった」
来日は2021年春。コロナウイルスが猛威を振るっていた時期でもあり、単身での来日だった。
「初めて日本に来たときは未熟でした。レッズアカデミーでの経験はあったけど、プロのラグビー選手として、どうふるまえばいいのか、文化の違う国で、どうやって自分を出せばいいのか、何一つわからなかった。そんな僕を、九電の人たちが成長させてくれました。放っておくこともできたのに、親切に導いてくれた」
2年の契約が終了した後、トヨタからのオファーが来た。
「信じられなかった。スティーブ(ハンセン=DOR)とオンラインで面接したとき、これは夢じゃないかと、ずっと机の下で手をつねってた(笑)」
6月に来日、チームに合流した。自らの強みを「ストロングボールキャリー」と言う。元FWとあって、コンタクトも大好きだ。
「BKラインにフィジカルを付け加えられると思う。タイプでいうと、ジョナ・ロムーやタナ・ウマンガ(ともにNZ代表BK)。そのプレーをトヨタで見せられたら」
ベン・ガンターとは大阪で会ったことがある。
「彼はイプスウィッチのライバル校に通っていて、それが分かったら一気に打ち解けて、ためになる話をたくさんしてくれた。ブリスベン・キッズの扉を開いてくれた選手です」
現在はトヨタのプレシーズンマッチ出場を目指し、「これまでで一番きつい」という練習をこなしている。
「W杯が終ったらアーロン・スミスにボーデン・バレット、フィフィタ、ヒメノ、ケンタ…。みんな戻ってくる。彼らから学べる限りのものを吸収して、ネクストレベルに自分を引き上げたい」
目指すは父のような選手だ。ラグビーを始めた頃からの憧れの存在だった。
「小さい頃から試合のハーフタイムになると、みんなは水を飲んだりフルーツを食べたりしてたけど、僕は父のところに行ってアドバイスを聞いていた。生涯のコーチだと思ってる。プロ選手としてのキャリアは短かったけど、いま僕がここにいるのも、父がいたから。いつか日本に招待して、僕の試合を観てもらうのが夢です」
父からは様々な助言をもらうが、褒められたことはまだない。将来、日本で息子のプレーを見る日が来たら、きっと目を細めるに違いない。
VILIAMI LEA/2000年9月30 日生まれ/178㌢108㌔/イプスウィッチ・グラマー・ハイスクール→九州電力キューデンヴォルテクス/オーストラリアU18代表
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