退団選手インタビュー
ヘンリー ジェイミー[WTB]
ホームカントリーは日本。
「今は“フルタイム・ダディ”と、“フルタイム・ハズバンド”。シーズンオフを満喫しています」
オンラインの向こう、ヘンリー ジェイミーの顔は穏やかだった。このほど、トヨタで6シーズンのプレーを終えた。今は父親に主夫業、時々トレーニングの日々だ。
「週に3日、ロードを走ったり、ジムでトレーニングをしています。他チームからオファーがあったら、すぐに対応出来るように。この2年間、セカンドキャリアを考えていたので、現役を終える準備もしています」
2017年にトヨタに加入。初年度は先発15試合に出場。その後も先発で起用されたが、リーグワンになりヴィリアミ・ツイドラキ、髙橋汰地ら若手が台頭。今季のリーグワンの出番は3試合。いずれも試合終盤での出場で、プレータイムは短かった。
「コーチが代わって、新しいフィロソフィーになることはわかっていました。私としてはもう少し貢献したかったのですが、チームファーストで挑みました。プロでやっている限り、こういうこともあります」
実力を発揮できなかった悔しさをにじませた。
オークランドのマウントロスキル出身。空港から市内に向かう途中にあるサウスオークランドの小さな街で生まれ育った。日本に行くきっかけとなったのは、立正大の堀越正己監督が自宅を訪ねてきたことだった。
「高校を卒業後、働きながらタッチラグビーとリーグラグビーをプレーしていました。そんな折、堀越監督が家に来て両親と話をして“日本に来てほしい”と言ってくれた。ラグビーにチャレンジできて新しい国に行くチャンスだと」
2009年に来日して、立正大ラグビー部の一員となる。課せられた使命は「関東大学リーグ戦1部昇格」。大学2年からレギュラーになったジェイミーだったが、チームは入替戦で1部の厚い壁に跳ね返されていた。3年時は21-27、6点差で拓殖大に惜敗。だが最終学年時には、関東学大を40-7で下して悲願の1部昇格を遂げた。ジェイミー自身、2トライを挙げ勝利に貢献している。
「当時のチームはアウトサイドBKを探していて、私に声がかかった。その責任を果たせました」
同時に、セブンズへの道も開け始めていた。大学時代からセブンズのトレーニングスコッドに招集されるようになり、2013年にセブンズ日本代表入り。立正大を卒業後は「PSIスーパーソニックス」に所属、セブンズに集中した。PSIは2011年創部、関東社会人2部に所属したこともあり、2016年にはジャパンセブンズにも参加している。
「大学4年時に、トップリーグチームからいくつか声をかけていただきましたが、その時の自分はまだ細くて、体形的にもセブンズが合っていた。トップリーグに所属したらセブンズには参加しづらくなる時代でもありました。当時のPSIにはセブンズのチームもあって、会社のCEOもラグビーに理解があった。プロとして、4年間プレーしました」
PSI時代はセブンズ日本代表の活動に専念。ワールドシリーズやアジアセブンズで忙しい日々を送った。最大の目標は2016年のリオ五輪。そのためには、日本国籍を取得する必要があった。
「自分自身の夢はリオ五輪でプレーすることでした。監督の瀬川さんも、ギリギリまで待ってくれたのですが、大会1週間前になっても国籍はとれませんでした」
本人はもちろん、長らく活動してきた仲間たちにとっても無念の時間切れだった。
「とても落胆しましたが、自分の努力が足りなかったわけではない。仲間が頑張ってくれました」
リオ五輪を機にセブンズに別れを告げる。
「最大の理由は、家族を持ちたかったからです。セブンズに打ち込むと、月の半分は家を空けることになる。妻と話し合って、15人制に集中することに決めました。ちょうどそのタイミングで、トヨタから声をかけてもらいました」
セブンズの厳しい練習で鍛え上げられ、トップレベルで十分戦える選手になっていた。加入後、すぐにトップリーグ15試合に先発出場。セブンズで培ったランニングスキルで活躍した。中でもタッチラインギリギリに片手でダイビングトライを決めるのは得意技。何度もチームを救ってきた。
「小さい頃からタッチラグビーをしていた影響でしょうね。ダイブしたり、空中で身体をひねりながらトライするのは、子供の頃からやっていました。でも、もっと簡単にトライできるのであれば、そちらを選びます(笑)」
あのトライは、ギリギリの状況で強さを発揮できる証明だった。トヨタでジェイミーが願っていたのは彦坂匡克、小澤大らセブンズで苦楽を共にした仲間と、バックスリーで出場することだった。ケガやコロナ禍での中止で、チャンスが巡ってこなかったのは心残りだ。
「セブンズでチームメートに恵まれました。トヨタの匡克、小澤、小原。他にもレメキ、トゥキリ、桑水流さん、セブンズのレジェンドである坂井さん…。まだまだたくさんいます。五輪には出られなかったけれど、少しは日本のセブンズに貢献できたと思っています」
15人制でもキャップを獲得(2018年11月3日・対NZ戦)。2019年にはサンウルブズにも参加しSRに4試合出場と、日本ラグビーに残した足跡は少なくない。
「私はNZで年代別代表には一切選ばれていません。それがここまで来られたのは、立正大に来てセブンズに呼ばれてトヨタでプレーできたから。そのことを私も家族も誇りに思っています。私のホームカントリーはNZでも豪州でもなく、日本です」
もう一度、あの迫力溢れるダイビングトライを見せてほしい。そう願っているファンは多い。
(写真説明)
第7節のS東京ベイ戦に後半32分から出場、38分にトライを決めた
0コメント