【ブログ】フューチャーストーリー 福田健太[SH]

「経験を積んで、常に余裕を持ってプレーできる選手になりたい」
 
 
第10節を終え、6勝4敗のトヨタヴェルブリッツ。今季、出場メンバーでプレータイムを大きく伸ばしているのがSH福田健太だ。

入社3年目の25歳。1年目は公式戦出場ゼロ、2年目の昨季はリザーブで7分間の出場。それが今季は、開幕の東京サントリーサンゴリアス戦でリザーブ出場すると、次の東芝ブレイブルーパス東京戦で初先発。後半26分、26-23と拮抗した場面で持ち前の俊足を活かし、試合を決定づけるトライのきっかけを作った。以後、第9節の埼玉パナソニックワイルドナイツ戦まで9番で先発。茂野海人共同主将とコンビでの起用が定着している。

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「いい時間を過ごせています。スタッフが信頼して使ってくれるのはありがたいし、活躍することで、ファンや家族に恩返しができると思っています」と本人も充実を口にする。

福田は埼玉県三郷市出身。すぐに父親の転勤で神戸市に引っ越し、幼稚園で今度は茨城県守谷市へ。小1で常総ジュニアラグビースクールに通い始めた。
「父がラグビー好きで、スポンジでできたおもちゃのアメフトのボールを買ってもらって遊んでました。誘導尋問みたいに“ラグビー行く?”と言われて。それが自分に合った」


楕円形のボールにすぐに夢中になる。小学5年生からは、中学受験を見据えて塾にも通い始めた。ラグビーの練習時間を増やしたかったからだ。
「受験という壁はありましたが、茗溪学園にいけば、毎日練習できる。スクールだと平日は学校の部活で、練習は週末だけになる。毎日ラグビーをやりたかったので、迷わず受験しました」


平日、友達と遊んだ後、夕方から塾へ。もう少し遊びたい気持ちを抑えて「自分で決めた目標なので頑張りました」

念願かなって茗溪学園に合格。中高の6年間、楕円球を追った。
「勉強は大変でしたけど、茗溪のスタイルが僕に合っていた。楽しかったです」

小学校時はCTB。本格的にSHを始めたのは中3のときだ。
「たまたまコーチが、“他のポジションも経験してみよう”と言うので、やってみたらハマった。SHっていちばんボールを触れる。ボールに触るのがいちばん楽しい」

それまではスピードもあり、一人でトライすることも多かった。それがたまたま違うポジションを経験したことで、ゲームを動かす楽しさを知った。


大学は日本一を目指して明治大学に入学。3年時に就任した田中澄憲監督(現東京サントリーサンゴリアスGM)との出会いが、選手として殻を破るきっかけとなった。
「キヨさんと会ってなかったら、僕はいまここにいない」

自身もSHとして活躍した指導者は福田に大きな影響を与えた。
「大学3年のとき、キヨさんがチームに来られて、選手を知るために部内戦をやった。その試合後に呼ばれて“このまま続けていったら、日本代表に近い存在になれるよ”と言葉をかけてくれた。コーチになられてからは、僕のスタイルをプッシュしてくれた」

励ましだけではない。調子が悪いときはメンバーから外され、練習態度も厳しく指摘された。
「大学3年の夏、パフォーマンスが悪くてメンバーから外された。そのとき、ふてくされた態度が出ていたらしく、練習後に呼ばれて“メンバーから外れたら練習しないの? 週末の試合、リザーブから出るからしっかりと練習から態度で示すことが大事だよ”と。それから、常に練習で取り組むようになりました」

こうも言われた。
「来年、お前がキャプテンをやるのに、そんな態度だったら、チームは終わる」

自らを「怒られキャラじゃないと思ってた」と分析する。実際、プレーも評価され、弁も立つ。だが田中監督は、本人の気づいてない内面を指摘、人間的な成長を促した。

4年時、田中監督の下でキャプテンを務め、大学選手権で22年ぶりの優勝を勝ち取る。そこには、リーダーとして周りを見られるようになった姿があった。
「人それぞれを知って、どう接するかを学べた。みんな性格は違う。同じ言い方をするのではなく、その人のことをよく知って、どういう言い方をすれば一番いいのか。最初からうまくできたわけではないですが、いろいろ考えることができた」


大学ラグビーに集中するため、トヨタ自動車への入社は早々に決めていた。
「ちょうどジェイク(ホワイト)さんが監督で、チームが上り調子。若手も使ってくれるイメージがあった。そこに身を投じたら、さらにレベルアップできるかなと」

大学優勝チームのレギュラーであり、キャプテン。「すぐに試合に出られると自信満々で入ったら、そんなに甘い世界じゃなかった」

トップリーグ(当時)では、世界トップの外国人選手と対峙する。彼らを止めるためのコンタクトの強度が不足していた。
「伸ばしたのは土台のところ。パス、キック、ラン…。一番は身体です。筋肉量を増やすためにそこを徹底してやりました」

大学時代は76㌔。まず83㌔まで増やして、身体を絞った。現在は80~81㌔のベスト体重をキープしている。黙々と自主練習に励むかたわらで、FL古川聖人、WTB髙橋汰地ら、同期が公式戦に出場していった。焦りがなかったわけではない。
「メンタル的にはしんどかったですけど、腐るのは誰でもできる。“ここで腐ったら終わりだ”と。これまでもすぐレギュラーになれたわけじゃない。中学時代も、やっとレギュラーをつかめそうだと思ったら、そこでケガをして、高校も1年は出られなかった。大学も最初はBチーム。それぞれのカテゴリーで挫折しているので、“いつかはチャンスが来る”と自分に言い続けてきました」

3年目のプレシーズン、大きなチャンスが巡ってきた。姫野和樹、茂野海人共同主将が日本代表でチームを空ける間、古川聖人とともに、チームリーダーを任されることになったのだ。全体を見る視野を持ったことは、SHというポジションにも好影響を与えた。
「2年目までは自分のことしか考える余裕がなかったのですが、チームのことを考えると、発言もどんどんしやすくなって、プレーに余裕ができた。いい循環でした」


それぞれの選手をよく知ること。大学時代の学びも生きている。
「外国人選手のそれぞれ違う文化、環境、いろんな人を理解すること。まだまだ途中ですけど、それは大学時代に培ったことです」
現在は試合に出たすべてを経験として吸収している最中だ。どんなメンバーになっても、それぞれの個性を最大限に引き出すのがSHの大事な役割だ。
「FWもそれぞれ特徴があって、早めに放ったほうがいいのか、僕が仕掛けてから渡した方がいいのか、タイプが違う。SOにしてもティアーン(ファルコン)、クランチ(クロニエ)、それぞれ考え方も特徴も違う。もっとすり合わせないといけないと、埼玉戦で感じました。試合に出ないとわからないことがある。今はそれを学んでる最中です」


同じポジションに茂野海人共同主将がいてくれることも大きい。
「海人さんが“思い切りやってこい”と送り出してくれるので心強い。先発はチームを勝たせるように流れを作る。リザーブは点差、状況に応じてどうゲームをコントロールするか。今シーズン、どちらも経験できているのはいい機会だと思います」

本人の目指すタイプはニュージーランド代表SHのTJペレナラ。彼が所属していた昨季のNTTドコモの試合は、くいいるように見た。
「発想も好きですが、彼はどんな状況でもずっと笑っている。僕も経験を積んで、常に余裕を持ってプレーできる選手になりたい」

そうなるために、強みであるスピードは大きな武器となる。
チームは上位争いの最中。田中監督が言ってくれた日本代表は、具体的には描けていない。
「まずトヨタで結果を残す。茂野さんという大きな目標があるので、トヨタで出続けて海人さんのいいところを学んで結果を残せば、おのずと結果はついてくる。

世界に目を向けたら20代の選手がどんどん活躍してる。僕は25歳ですけど、若いと言っていられない。練習中からハードワークして、成長していきたいと思っています」


先輩SH滑川剛人がレフリーに比重を移した今季、SHは梁正秋と3人の争い。4月からは田村魁世も同志社大から加わる。それぞれ特徴の違う9番の争いが、チームを押し上げる推進力となる。
文/ 森本優子


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