トヨタヴェルブリッツ 職場紹介
第1回
後藤彰友GM
“ヴェルブリッツをより「強く」「愛される」チームにしたい”
リーグワン優勝を目指し、日々研鑽を積むトヨタヴェルブリッツ。コーチ陣をはじめメディカルスタッフ、分析、通訳など、グラウンドの内外で選手たちをサポートするスタッフは40名を超える。普段は表舞台に出ることの少ないチームスタッフを紹介する連載「仕事場拝見」。第1回は、昨年6月に就任した後藤彰友GMから。
昨年、36歳の若さで要職に就任した後藤GMは地元愛知県出身。トヨタ自動車ヴェルブリッツで6年間プレーしたLOでもある。千種高から早大に進学。関東大学対抗戦でレギュラーとして活躍し、2005年度の大学3年時には清宮克幸監督、佐々木隆道主将の下、第43回日本選手権2回戦でトヨタ自動車を28-24で破る大金星を挙げている。
中学までは野球少年。高校でもいったん野球部に入ったものの、物足りなさを感じて退部。上背があったことから、ラグビー部から熱心な勧誘を受けていた。
「ずっと断っていて、やってもいいかな、と思い始めた頃に、ラグビー部の桑田厚司先生(現愛知県ラグビーフットボール協会理事長)から、“勧誘は今日で最後にするから、体育教官室に来てくれ”と言われました」
部屋に入ると教官室のソファーに、トレンチコートを着て黒いサングラスをかけた長身の男性が座っていた。高校生が入ってきたことに気づくと、おもむろに立ち上がりサングラスを外した。
千種高校ラグビー部OBの俳優・舘ひろしさんだった。
「“ラグビーやらないって言ってるらしいけど、本当に素晴らしいスポーツなんだ”と。今でも覚えているのは“ラグビーでできた仲間は、一生の仲間になる”と。“僕も俳優の仕事をしてるけど、先輩からラグビー部に誘いたい奴がいるから来てくれ、と言われて来たんだ“と」
高校生の勧誘のために、大スターが東京から駆けつけたのだ。一も二もなく、ラグビー部に入部。毎日が楕円球を中心に回り始めた。
早大では理工学部に所属。ラグビー部の練習と授業での実験、レポート、練習に明け暮れる日々を送った。
「実験がある日は練習に出られなかったので、全体練習に参加できるのは週に2日。実験が終わると、手書きのレポートを提出するので、練習が終わってご飯を食べてお風呂に入って、夜な夜なレポートを書いてました」
応用化学学科で、環境工学を専攻。
排気ガスに含まれる有害物質を基準値以下にしたり、排水をろ過する技術などを研究した。
就職先も授業で学んだことを活かし、本格的にラグビーをするのは大学まで、と決めていた。大学生の心を揺さぶったのは、冒頭のトヨタ自動車を下した翌週に対戦した東芝府中ブレイブルーパス(現東芝ブレイブルーパス東京)との準決勝だった。
社会人を破った大学チームに、東芝が油断をするはずもなく、試合は0-43の完封負け。
「それまで自分たちは強いと思っていたのですが、東芝に負けて“社会人で優勝して日本一にならないと、辞められない”と」
トップレベルでラグビーを続けることを決め2007年、最初に声をかけてくれた地元のトヨタ自動車に入社する。
「高校時代、トヨタのグラウンドで練習させてもらっていました。その頃はまさか自分がトップリーガーになるとは、夢にも思ってませんでした。当時、廣瀬佳司さん(OB/現京産大監督)が現役で、話をさせていただいたのですが、入社した時も現役で、1年間一緒にプレーすることができました」
トヨタで日本一を目指したものの、2年目の春の練習試合で膝を負傷。復帰まで1年半を擁する大きなケガだった。その後も膝の不調に悩まされ、2012年度で引退。6年間の現役生活だった。
「最高成績は、2010年度に三洋電機(現埼玉パナソニックワイルドナイツ)に敗れての準優勝。道半ばでの引退でした」
入社当時からTQM(トータル・クオリティ・マネジメント)という総合的な品質管理や製品の質を上げるための人を教育する部署に配属。現役引退後は社業に専念した。
再びラグビーと縁がつながったのは2017年。トヨタ自動車の運動部のマネジメントを担う「スポーツ強化・地域貢献部」に異動する。日本開催のラグビーワールドカップ(W杯)を2年後に控えた時期だった。新たな職場で担当したのは、ファンエンゲージメント。どうやったらトヨタのスポーツがファンに広く親しまれ、スタジアムに足を運んでもらえるか、知恵を絞った。かつて選手として過ごしたクラブハウスにも、週に1回通った。
「W杯は豊田スタジアムで4試合が予定されていました。そこまでホップステップジャンプで、“とにかく豊田スタジアムを満員にしよう”と」
その努力は着実に数字となって表れた。2017年度のトップリーグ開幕戦、8月18日のヤマハ発動機ジュビロ(現静岡ブルーレヴズ)戦は27871人、翌18年度のサントリーサンゴリアス(現東京サントリーサンゴリアス)戦は31332人。いずれも、シーズン最多の観客を集めた。W杯後に開幕したトップリーグ2019の第2節・パナソニックワイルドナイツ戦では37050人の観客を集めた。この数字は現在もトップリーグの最多動員記録だ。
その後は部内異動で、名古屋グランパス、アルバルク東京などのマネジメントを担当、主にプロスポーツの経営管理を現場で学んだ。
「サッカーJリーグは約30年の歴史があり、バスケットのBリーグは2016年に立ち上がったばかり。両方のクラブ経営のサポートをさせてもらい、刺激にも勉強にもなりました」
様々なスポーツのマネジメントを経て、昨年6月1日付で、トヨタヴェルブリッツのGMに就任。これまで培った経験を、ラグビーの現場で活かす日々が始まった。
「創部80周年の節目の年であり、新リーグ元年にチームに戻ってこられたのは光栄なこと。スタッフとして、チームを日本一にするチャンスをいただいたと思っています」
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GMの仕事は幅広い。グラウンドの内と外、社内と社外。幅広い分野でのマネジメント能力が求められる。
「トヨタヴェルブリッツを、より強く・愛される存在にするために、できることはすべてやりたい」
実現させたいことは、たくさんあると意気込む。
「まず、“強く”では、中長期的なスタッフ・選手の編成、継続的にチームが強くあり続けるための体制を整えることが一番の仕事です。“愛される”は、新リーグの理念が地域密着ですので、地域住民に愛されること。小中学校や近所の公園、街にもヴェルブリッツを落とし込んでいきたい。
同時に企業スポーツの軸も残っているので、従業員、関連会社、ステークホルダーにも応援いただくことも大切。従業員に週末に試合を観てもらい、自分たちも頑張ろうと思ってもらうのが大事。ヴェルブリッツの試合結果が職場の共通話題になることは、これまでと変わらずにやっていきたい」
何より、現役の時に叶えられなかった日本一への思いは強い。
「ヴェルブリッツ自体、タイトルから30数年遠ざかっている。このチームで優勝したいし、今の選手たちとその喜びを味わいたい。その思いはあります。まだゲーム数も他のチームより少ないので、試合を重ねるごとに一つになれるよう、マネジメントしたい」
昨年12月にはトヨタヴェルブリッツ、愛知県、豊田自動織機シャトルズ愛知と三者で包括協定を締結。
愛知県とスポーツチームがタッグを組むのは初めてのことだ。
「ラグビーが持つ価値で、社会の課題を解決していけたら」
ラグビーの道に誘ってくれた舘ひろしさんとの繋がりは今も続く。
「リーグワンのヴェルブリッツの試合が終わると、電話で激励いただいています」
GM就任時には、クラブハウスにお祝いの胡蝶蘭が届いた。
「ラグビーは本当に素晴らしいスポーツなんだ」
先輩の言葉を実感しつつ、チームの強化と地域への普及貢献に邁進する多忙な毎日だ。
文/森本優子
ごとう・あきとも/1984年10月14日生まれ/千種高→早大→トヨタ自動車。現役時代はLO/FL、185㌢97㌔。
2007~2013年度まで現役。
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